宇宙食開発から生まれた食品管理手法
HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point:ハセップ、もしくはハサップ)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。食品衛生における代表的な管理システムのひとつであり、これができたきっかけは、何と人類が宇宙に出ようとしたためなのです。もし、宇宙ロケットの中で食中毒が起こってしまった場合、生死に関わる大事件になるため、宇宙食開発チームが安全性の高い食品を作り出す管理方法を考え出しました。
HACCPは食品を作るすべての工程中であらかじめ危害を予測し、それを防止するための方法を決め、継続的に安全を確保すると言う考え方に基づいています。HACCPは約30年ほど前、先進国で食中毒が一向に減少しないときに注目を集め、ヨーロッパやアメリカで採用されました。日本でも国際的な孤立を避ける意味も含め、1995年に食品衛生法を改正して導入しました。そして、1996年に大阪・堺市の学校給食で、O157による食中毒事件が発生し、給食施設にもHACCPの考え方による衛生管理マニュアルが示されました。
重要管理点を管理する
ではHACCPは、一般的な衛生管理手法とどこが違うのでしょうか。ここでは、エビフライを例にして考えてみましょう。一般的にはでにたエビフライを後から検査します。しかし、HACCPではエビを揚げるとき、中心温度が、「決められた温度で何分間維持されたか」を確認し、記録します。それは、このときの温度と時間が殺菌の死滅に直接、影響する重要管理点(CCP)であるからです。また、決められた温度と時間が守られなかった時は、「再度揚げるのか、捨てるのか」も前もって決めておくことで、安全が確保できます。しかしながら、細菌が全部死滅したエビフライでも、汚れた手で触っては意味がありません。HACCPを有効に機能させるには、一般的な衛生管理方法が理解できていることが最大の前提条件になります。
食品事業者がやるべきこと

画像:農林水産省
食品店の安全のために大事なこと
「食品の安全を確保するためには、考えるべきこと、覚えるべきことがたくさんあって大変!」と思われるかもしれません。しかし、長くこの分野に関わってきた経験から、もっとも大事なことはひとつだけで、それを中心に考えることができれば、食品の安全は守ることができると思っています。それは、「食品の目線で現場を見る」ということです。人の目線では見えないことも、食品の目線で見れば、見えてきます。それを自分の現場で行うということです。原材料としてよいものを仕入れ、適切に加工し、そして完成品を適切に扱うということが、食品の安全を保障する基本です。そこでは温度管理とともに、洗浄・殺菌が非常に重要な役割を果たします。「何のために洗浄・殺菌という作業を行うのか?」それは食品が二次汚染を受けないため、という目的につきます。作業する人が、手洗いをするのもそのためです。食材、食品の目線で見て、「どこで二次汚染を受ける危険性があるか」「何に食品が触れているのか」をしっかりと観察することが大切です。
食品は思わぬところで汚染されている
現場でのものの見方として、大切なことが二つあります。ひとつは物理的に食品と同じ高さで流れを追うこと。もうひとつは、全体をボーッと見ることです。この二つができていれば、食品の目線で問題を発見できます。食品と同じ高さで食品の流れを追うと、人の目線、つまり上から見ていてはわからないところで、機械などと触れていることがわかります。また、下から思わぬ汚染を受けていることもわかります。そこで得た情報から、しっかりと洗っていなかった機械部品を洗浄することで、製品の品質が向上したことがありました。また、チェックリストを持って局部的に見ていると全体が見えなくなります。あえてどこを見るということなく全体を俯瞰すると、おかしな動きに気づくことができます。現場にいるときには気づかず、事務所に帰って全体を撮ったビデオをボーッと見ているときに、二次汚染が起こっていることがわかったこともあります。
医療・介護関係者がやるべきこと
「人」の動きを追う
食品衛生の中心が「食品」であるとすると、医療・介護関係で重要な感染症予防の中心は、「人」ということになります。そこで食品の目線で働きを追うのと同じく、人の動きを追うことが、感染症予防の基本になります。かつてノロウィルスの感染症が起こった介護施設で、その後の事故の拡大を防いだポイントは、「人の動きを物理的に調べた」ことでした。「感染者がどこにいて、まだ感染していない人がどこにいるのか」「その人たちが接触を起こさないようにするにはどうすればいいのか」を考えると、必然的に、「共通して接触する場所はどこなのか?」と言うところに目が行きます。そこをしっかりと洗浄・殺菌するのです。たとえば、「手すり」「ドアのノブ」「トイレの手洗い場回り」などです。「人の動き」という目線で現場を見ることなく、やみくもに施設全体を丸洗いするような発想をする人がいますが、それは非効率で非現実的です。空気感染ということもあるので、見えない敵と戦うような不安感があることは理解できます。しかし、それとて共通接触部分の洗浄・殺菌と言う対応をした上でのことです。空気で感染するものでも、その多くは飛沫が飛んでいそうな部分をしっかりと洗浄・殺菌することが大切です。
「いざ」に備えるための対策
そして、もうひとつ最後に、食品でも医療・介護でも同じように大切なことがあります。それは洗浄・殺菌の作業が、「日々の仕事で身に付いている」ことです。普段の仕事としてできていないと、いざ大きな問題が起こったときに対応しようとしても機能しません。これは、様々な現場で嫌と言うほど見てきました。事故が起こってから対応しようとしても、できないのです。そもそも、普段から心がけていないから、事故が起こってしまうのです。基本的なことが当たり前にできるように、日頃から実践されていること。それに勝る対応策はありません。本書でその基本的なことをしっかりと学んでいただければ、大変うれしく思います。
まとめ
「衛生管理」教育で大事なこと
本書で何度も述べてきたとおり、洗浄・殺菌を中心とした衛生管理では、「教育」は本当に大切なことです。そして、大切な割には、偉い人が参加しないと言う不思議な仕事です。それはなぜでしょうか?飲食店などの組織から見れば、衛生管理は直接、売り上げには貢献しません。そこで、「作業そのものはアルバイト君にやってもらい」なりがちです。その状況はよく理解できるし、それでいいと思います。では、何が問題なのでしょうか?ルールを決めても、ルールどおりにうまくいかないのは、なぜなのでしょうか?
①ルールが自分の知らないところで決められている
衛生管理の手順やマニアルは、実際にその作業行わない人が決めるのが普通になっています。「ルールを決めるのは理屈がわかっている人、あるいはその周辺の人。でも実際にそれを実行するのは別の人」ーーー。
この構図に問題があります。衛生管理に限らず、他人が決めたことを守るのは誰しも嫌なことです。そのルールが現実から乖離していればなおのことです。
②現場の事情が組み入れられない
実際に作業をする人の意見が反映されずにルールが決められれば、当然、現場の事情は勘案されません。知っていれば回避できることも、知らないで決められてしまえば避けることもできません。やらなくてはならないことは、やらなくてはならないのです。その過程で、「衛生管理」は難しい仕事であると言う認識を、ルールを作る人と実行する人が共有しておかないと、実行する人には不満が残ります。「簡単にできると思っているのか!」というわだかまりが残ります。これがよくないのです。
③現場で教えないでイメージが合わない
衛生管理の教育が、実際に仕事が行なわれる現場でされればいいのですが、そうでないことがあります。会議室では現場とはイメージで合わないことがあります。「事件は会議室で起こるのではない」ということです。衛生管理の教育では、こうしたことを踏まえて、「ルールを決める段階で、必ず現場の人をメンバーに入れる」「むずかしい場合は、それを全員で共有する」、そしてそれを「現場で教育する」ことが大切なのです。