ここ数年、「自動運転」や「電気自動車」「エコカー」などという言葉をよく耳にする。
私の叔父はもう他界したが、とても車好きな叔父だった。1年の内、何度か家族や親戚が集まる行事があり、マンガから出てきたような真っ赤スポーツカーで毎回現れるのだ。著者も当時は子どもだったので、とてもそれが眩しく見え、好奇心をかきたてられたことを覚えている。
その叔父が、「自動運転」「リッター40km走る車」あるいは最近みかける「走る知能」的な機能を搭載した車をみたらどう思うのだろうか。どう感じるのだろうか。

新型プリウス2018年にも発売開始か
車の技術開発で主に期待されることは、安全性と資源負担の軽減だろう。
たとえば、資源がオイルから電気に置き換われば、それは今の地球の環境問題を改善することに貢献するだろうと思う。
車の未来を考えたとき、車自体にだけ目を向けるのではなく、そのメンテンスや車の消臭問題についてもみんなで真剣に考えていきたい。なぜなら、それが取りも直さず地球環境問題への貢献となるはずだからだ。
果たして私たちの世代が死の間際に近づく年齢になったとき、車にタイヤはついているのだろうか。燃料はオイルから電気に完全に置き換えられ、「ガソリン」は死後になってしまうのだろうか。この地球では、私が生きている間のたかだか40数年の間に、私が知るかぎりで地球にとって良いことも悪いこともたくさんあったはずだ。私は環境問題を専門にやっているが、とてもではないが「地球の環境問題のことで知らないことは何もない」などと言えるはずもない。人間は地球という奇跡の前にただただ無力なのだ。
しかし、それはただ無力なだけではなく、よくも悪くもその地球の変化に対応してきた人たちもたくさんいる。
自動車の最新技術の開発や、環境問題の専門家などがそれだ。
いつの時代も、変化に対応できないものは滅びるのだ。子どもたちの未来を、そして、この素晴らしい地球が滅びてしまっては人類が否定されることにもなりかねない。そうなるわけにはいかない。
たとえば、車の消臭問題などは単独では小さなことかもしれない。しかし、それがエコの松明として、1人また1人と広がっていくことを想像してみてほしい。
私は、この地球が時を経つにつれ、今よりももっと素敵な地球になることを願っている。